由緒
History
明治四十五年(一九一二)七月三○日に明治天皇が崩御せられて、御大葬の日と決まった大正元年九月十三日。
御霊轜(棺を乗せた車)が宮城を出発する号砲が打たれた午後八時過ぎに、ご祭神と静子夫人は先帝に殉じて自刃を遂げられました。
御夫妻の忠誠心に感激した国民はこぞって乃木邸を訪れ、その数は日を追って増していきました。
ご祭神の葬儀と同時に幽霊坂と呼ばれていた坂の名前が“乃木坂”と改められることとなりました。
時の東京市市長・阪谷芳郎男爵は先頭に立って広く同志を集め、中央乃木会を組織し、乃木邸内の小社に御夫妻の御霊をお祀りしました。
また、毎年九月十三日にはその御前に祭儀を斎行するとともに青少年への研修会を開催するなど、御夫妻の精神を永世に伝えようという活動が活発に続けられていきました。
大正八年(一九一九)には乃木神社創立の許可が下り、明治神宮創建の後に御造営の事業がおこされ、大正十二年(一九二三)十一月一日に鎮座祭が斎行されました。
昭和二十年(一九四五)五月二十五日、未明の空襲により本殿以下社殿をことごとく消失しましたが、戦後全国の崇敬者の熱意により、昭和三十七年(一九六二)九月十三日、ご祭神五十年祭に併せて本殿・幣殿・拝殿が復興されました。
沿革
大正2年 | 乃木将軍ご夫妻の英霊を祀り国民崇敬の祠とすることを目的として、 東京市長阪谷芳郎男爵を会長として中央乃木会を設立する。 |
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8年 | 乃木神社の設立を申請し許可を受け、乃木邸の隣地(木戸侯爵邸の一部及び一部民有地)を購入し、御鎮座の地(現在地)とする。 |
12年 | 11月1日御鎮座祭斎行 摂政宮殿下より御菓子料下賜 |
11月3日秩父宮殿下 閑院若宮殿下御参拝 | |
13年 | 東京府社に列せられる |
昭和7年 | 御鎮座10年祭斎行、天皇陛下より御菓子料下賜 |
18年 | 御鎮座20年祭齋行、天皇陛下より御菓子料下賜 |
20年 | 空襲により本殿以下社殿焼失 |
23年 | 仮本殿復興 (現摂社正松神社本殿) |
26年 | 儀式殿竣工 |
29年 | 茶室「忘筌」(大徳寺弧蓬庵国宝茶席の写)建設 |
37年 | 御祭神50年祭にあわせて本殿戦後復興 (本殿、幣殿、拝殿完成) |
天皇陛下より祭粢料下賜 | |
末社赤坂王子稲荷神社勧請 | |
38年 | 御鎮座40年祭齋行 |
摂社正松神社勧請 | |
39年 | 函館乃木神社 東京乃木神社の飛地境内神社として認可 |
43年 | 乃木會館竣工 |
47年 | 御祭神60年祭齋行 |
48年 | 御鎮座50年祭齋行 |
57年 | 御祭神70年祭齋行 |
58年 | 御鎮座60年祭にあたり社務所・宝物殿・儀式殿・武道場を竣工 |
平成2年 | 御大典奉祝大祭を齋行 (舞楽「乃木の舞」を製作) |
4年 | 御祭神80年祭齋行 |
5年 | 御鎮座70年祭齋行 |
10年 | 乃木會館別館 メゾン・ブランシュ竣工。 |
11年 | 御祭神生誕150年祭齋行 |
14年 | 御祭神90年祭齋行 |
函館乃木神社御鎮座85年にあわせ拝殿竣工 | |
15年 | 御鎮座80年祭齋行 |
17年 | 日露戦役戦捷100周年 |